新型コロナウイルス感染症(COVID-19)はあたしの居場所を変えたのかもしれない

こんばんにゃ。

たまには真面目なことを震えながら綴ることにしました。

真剣に書いたら脳みそも指先も疲れてしまってもう怠い。明日は20時間くらい眠れそうです。んで、寝過ぎで頭が痛くなるパターン。

なんなのよそれ、マジ卍

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今年の世界的な話題と言えば何を差し置いても「コロナ」でしょう。

その名が示す通り昨年発生して今年3月11日に世界保健機関WHOがパンデミックを宣言した。(英語名称末尾の「19」という部分が発生年を指す)

多くの人の生活環境が一変することになり、普段は考えることのなかった分野に頭を悩ませたり決断を迫られることが増えたのではないかと推察する。

無論あたしもそのひとりだ。

普通に会社通勤していたOLが在宅勤務を命じられ、外出自粛を要請され、これまで意識しなかった装備をマナーとして求められるようになった。その影響でコミュニケーション不足による孤独感からアルコール摂取量が増え、閉塞感や運動不足から心身双方にストレスを抱えることになり、マスクだ除菌液だ買い溜めだと金銭的な負荷が生じた。

特に「来年になったらリストラ対象になるかもしれない」「高齢の両親が感染したらどうしよう」という将来への不安が重くのしかかってくるようになったのだから堪らない。

考えれば考えるほどに思考がネガティブな方向に流れてくが、解決策は見いだせなままという悪循環にドはまりしていた。

 

めちゃんこ苦しかった4月。

それが5月に入ると徐々に薄まりだした。心の中の"なんくるさいさー"成分率が爆上がりしだしたのだ。

脂肪の陰に埋もれていた本能が"生きろっ!"ともののけ姫よろしくグチグチした弱い部分を抑圧させたのかもしれない。

このネガな方向に荒ぶる魂を鎮め、生存に必要な本能を刺激したトリガーのひとつには、しょーもないくらいにミクロな話にスライドしちゃって恥ずかしいんだけど、このブログの存在も挙げられると自己分析してる。

モヤモヤ悩むということに対する諦めや疲弊とか、神経が完全に擦り切れて消滅してしまったとか、現実逃避してイケメンプリンスと脳内デートを満喫しまくってたからとか様々な要因がミックスされた結果なのかもしれないんだけどね。

 

昨年の終わりごろ敬愛する女性上司からお誘いがあった。

「happorinさんも〇〇(ここではない某SNS)やろーよー。普段話してるみたいな感じの面白い日常ネタを投稿してよー!」

ハイパーメカ音痴なあたくし。

SNS?何それ?またすぐに横文字、すぐに略すー!って感じだったんだけど、まぁなんていうかぶっちゃけお付き合いの一部ととらえて、そちらに文章を書くようになった。

 

社会人になってから書く文章は所謂お仕事関係のことばかり。

ビジネス用語。ビジネスメール。ビジネススマイル。(え?)

いきなりビジネスから離れた文章を書けって言われても…。自信は皆無だったんだけど、OLってかサラリーマンだしガチンコで応えなきゃね、と必死になったわけですよ。

SNSでTPOをわきまえない文章をぶちまけて大暴れしてました。

 

でもね、残念ながらそちらは長文には適してない仕様だったの。

改行がうまく表示できないので読みにくいし、好きな部位に適切なサイズで画像を挿入することもできない。

そんなあたしを見かねて、現ブログの師匠ジャンヌダルクがこのHatenaBlogを紹介してくれた。

 

上司の手前、某SNSの方もやめられない。でも不器用な自分がHatenaBlogと二足の草鞋なんてできるわけがない。どうしよーと迷ったふりをしながら3月を迎えたころにはコロナ関連の話題がニュースを埋め尽くすようになった。

 

コロナの影響で某SNSに投稿された内容を目にする人々の受け止め方にも変化が生じてきた。あたしのTPOをわきまえない投稿も例外でなく、少しは考えろよなーっつー風潮が強くなってきてしまったのだ。

そちらは自分に近い人々を集めたコミュニティなのでどうしても生息エリアというか環境が似た人が多くなる。

「こっちはこんなに大変なのに、君はなんでそんなに余裕があるんだ。」

自然と風当たりが強くなるときたもんだ。

 

読書は好き。でもモノを書くことまで好きだったとは知らなかった。

自分のことをもっと知って、もっと理解してもらう手段として「自分も書く」という選択肢があることに推定26歳にしてやっと思い至ったというところだろうか。

SNSの方で自覚してしまってからは、もう何も書いていなかった頃には戻れないよね。

 

「嫌なら読まなきゃいいじゃん」

「あたしが好きなことを発信して何が悪いの?」

反論はある。

でも、なんかそれをそのまま言っちゃうのはやっぱダサい。

相手の精神状況が不安定なのをわかってるのに本気で挑んでもあとで哀しくなるだけだ。

  

 『村の宴会部長じゃなくて、街頭の孤独な演説者になりなよ』

 

師匠ジャンヌダルクの殺し文句ですわ。

 

土俵をかえることにした。

それで、ここがあたしの居場所になりました。

 

SNSの方では内輪ネタで盛り上がってることが多かった。

でも、街頭で演説できるようになるには、きちんと何かをアウトプットするには、それ相応のインプットが必要で、目線を変えることを意識しなければならない。

これまでは難しかった書式や画像の挿入もできるのだから手札は増えたわけだ。

 

居場所があると、もっとそこを充実させたくなる。そしてそこを大事に守りたくなる。そうするとこれまで見えなかった次元のことにも興味を持ち、視野が広がる。

 

義務とか責任とかそういったこととは無縁な、純粋な迸る想いがあたしを少しだけ強くしたのかもしれないんだにゃ。

 

追伸:

師匠があんまりあたしのブログをちゃんと読んでないことを知っている。

だから調子に乗って「ジャンヌダルク」なんて表現しまくっていたんだけど、ついにこないだバレてしまった。

 

ジャンヌダルクって女性でしかも最後処刑されているのですが…(笑)』

 

ある意味、公開処刑ってやつ?(笑)

師匠と言いつつdisっているのは愛故です。たぶんね。

 

コロナについては↓の記事がとても読みやすく簡潔にまとめられていると感じました。

 

dokujyo-repo.com

 

【あたしのブログ放浪記】

 

happorin.hatenablog.com

  

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